『装飾よりも大切なものがある』江戸切子職人・矢部保(やべたもつ)氏

  • 2021年2月26日
  • 2021年6月23日
  • 職人

伝統の巧手が追求する “魅せない技術”の真髄

第1回は江戸切子職人をご紹介。前職で編集者をしていたころに出会い、付き合いは10年以上。生粋の江戸っ子で、当初取材を申し込んだときは「一切お断り」と話を聞いてもらうことすら叶わず、あの手この手を使い承諾を得た。そんな頑固を地でいく彼は、知れば知るほど私の想像を超える粋な職人であることに気付かされる。私(管理人)にとっての“ほこりびと”であり、尊敬すべき人生の先輩の物語をここに書き留めたい。

江戸切子とは

 

矢部保さん作のグラスたち

色を被せた硝子をグラインダーと呼ばれる回転工具に取り付けたダイヤホイールや砥石を使い、表面を削ることで美しい文様を描き出す伝統工芸・江戸切子。起源は「加賀屋久兵衛が天保5年に金剛砂を使用して、硝子面に彫刻を施すことを工夫したことに始まる」とされている。

削られて透明になった箇所に光が通ることで華やかな影を写し、見る角度を変えるごとに光の屈折により表情を変えていく様が最大の魅力だ。現在では若手の職人による革新的なデザインが施されるようになり、技術も装飾の幅も広がりを見せている。

 

職人・矢部保が考える切子

 

江戸切子職人の矢部保氏。父であり先代の茂さんは独自の技法を追求し「江戸被切子」(えどきせきりこ)」の名称を商標登録。江戸川区の無形文化財に指定された人物だ

「江戸切子って所詮はグラス。結局は口当たりが一番大事なんだよ」

そう話すのは東京都江戸川区の工房で作品を作り続けている江戸切子職人の矢部保さん。職人歴は40年以上、手掛ける切子はぐい呑みにグラス、お皿に花瓶、ランプシェード、リンゴのオブジェなど多岐にわたり、業界で名を馳せる職人たちがこぞって“師匠”と呼ぶほどの技術の持ち主だ。

そんな保さんが職人として何よりも大切にしているのは、伝統技術の真骨頂とも言える“削り”ではなく、使い手が最も触れる“口当たり”。口当たりを決める作業は、削りの後に行われる“磨き”と呼ばれる工程のことで、この仕上がりが作品の出来不出来を決定するのだという。

 

工房に置かれている作品の数々

江戸切子を連想する時、多くの人が繊細で美しい意匠を思い浮かべるはず。量産されているグラスより高額ということもあり、口当たりよりも豪華な装飾の方が良い作品だと考えるのはごく自然のことだ。

しかし、優雅で雅なデザインをいくらでも生み出すことができる保さんが最も重要にしているのは、“見た目”ではなく“違和感のない口当たり”。なぜ“口当たり”なのか。まずは江戸切子の工程を知ることが鍵になる。

 

一般的な江戸切子の製作工程

 

多くの場合、割り出し機を使い下地となる線を引くことから作業が始まる

専門的な業界用語が多い江戸切子の世界。そこで一般的な江戸切子の大まかな作業工程を解説する。

(1)割り出し:正確な線を引くことができる割り出し機を使い、カットの目安となる縦横の線を油性ペンで引く

(2)荒摺り:回転工具に取り付けたダイヤモンドホイールに水をつけながら(ホイールとグラスの摩擦により引火するのを防ぐため)、硝子を削り大まかな線を決めていく

(3)三番掛け:荒摺りを元に、数種類のダイヤモンドホイールなどを使い、より細かくなめらかなカットを施していく

(4)石掛け:人工砥石や天然石に水をつけながらカット面をよりなめらかに仕上げていく。※現在は行われていないことが多い

(5)磨き:藁を束ねたタワシに水溶きした研磨材をつけて、木盤や毛車フェルトなどで磨いていく。手で磨くのではなく、薬品に漬けて表面を磨く「酸磨き」が行われることもある

(6)バフ掛け:最後の仕上げとして藁を束ねたタワシで水溶きしたセリウムという研磨材をつけながら、“バフ”と呼ばれる薄いフェルトをつなぎ合わせた素材で硝子表面を磨き光沢を出す

引用:『江戸切子-日本のカットガラスの美と伝統-』発行:町田市立博物館

http://tamahaku.jp/event/00243.html

 

工程ごとに道具を取り替える。装飾や作品ごとに使用する砥石の大きさもさまざま

簡単に説明すると、硝子をダイヤモンドホイールで荒摺りをし、砥石で削ってデザインを製作。その後、ツヤを出すためにさまざまな用具や素材を使い、削った箇所を丁寧に磨き仕上げていくということ。しかし現在では職人の負担などを考慮して、仕上げ工程の“磨き”を薬品(酸など)に漬けて処理をする工程が主流となっている。

保さんは薬品に浸ける処理は行わずすべて手作業で磨きを行うが、その理由についてはこのあと記述する。

 

経験と技術を持つ職人の作り方

 

魚子文を削る工程の一つ。数ミリ間隔で直線を削っていく
斜線を入れたあと、クロスするようにもう1本の線を刻む。間隔に狂いが出ると最後の線が交わることはない繊細な作業だが、保さんはフリーハンドで完璧に仕上げる

取材をしたこの日、保さんは斜めに削った直線を組み合わることで生まれる魚子文(ななこもん)を削っていた。この魚子文は、正確な角度とラインの間隔が必要とされるため、通常は下地を引く“割り出し機”を使い硝子に目安線を入れてから削っていく。しかし彼は割り出しをせずフリーハンドで、一点の狂いもない見事な文様を生み出していた。その姿は素人の聞き手からすれば神業というほかない。

 

葉の紋様を施す様子。もちろんこの作業もフリーハンド
直線を組み合わすことで生まれる魚子紋と柔らかな曲線で描かれた葉の紋様のぐい呑。カットされた底の部分は斜止め(はすどめ)という高度な技術が施されている

独自の技術を持つ保さんに、自分流の製作工程があるのかとたずねると「一辺倒な工程なんてねぇんだよ」とひと言。作品に施された紋様ごとに削り方や磨き方を変えていくため、説明できる作り方はないのだという。

「ただうちの場合はね、最後の磨きの工程から逆算していくわけ。この道具を使ったら磨きがこうなるからこの工程は省こう、この紋様の組み合わせはやめておこうとかね」

技術や工具を駆使しても磨きが甘くなると判断すれば、思い描いていた作品の構想を迷うことなく捨てていく。その決断をする理由はただひとつ。

「硝子本来の輝きを出せるかどうか」

引いては「心地よい口当たりになる」というわけだ。

 

広角レンズなどを磨く研磨材のセリウムを塗布しながら磨いていく

保さんは前途の(5)にあたる“磨き”の作業において、薬品漬けを一切行わない。

「酸に漬けるとね、肌荒れと一緒で硝子の一部が荒れたりするんだ。それに、削りの工程で使うダイヤモンドホイールって人工ダイヤ(粒子など)が入ってるから、削るたびにごく微量な筋が入るの。その状態で酸に漬けると、表面が平らじゃない状態のまま全体的に溶かしていくことになるから、硝子に筋が入ったままなわけ。仕上がりを見るとその線が乱反射してキレイに見えるんだけど、本当は光っているわけじゃない。傷なんだよね。その光が俺は好きじゃないわけ。だから手作業でやるの」

“薬品で漬けた光が好きじゃない”。その理由だけで手作業を選んでいるわけではないと想定できるが、すべてを手仕事でやるということは、通常の何倍もの(おそらく4倍は確実)労力が必要になる。それでも彼は手作業にこだわる。

 

切子職人は研磨業。“磨き”こそ技術が問われる

 

磨きを行うための工具。紋様ごとに使い分けるため、複数の工具を使用しながら一つの作品を作り上げる
削りや磨きを行う石。厚さや鋭角部分の角度が異なる工具がずらりと並んでいる

 

「切子ってのは研磨業なの。税務上は今でも窯業の中の研磨業に所属している。だから磨くのは当然の仕事。昔は磨きの道具を手入れすることから修業がはじまって、何年もかけてその技術を習得してきた。だから切子として削りの作業ができるのはそのずーっと先だったんだよ」

 

使い込んだ砥石の表面を平らに整えていく保さん。もちろん、その工具もお手製だ

 

研磨業として受け継がれてきた切子の本質、“磨き”の技術を持ち、極め、最大限に作品に反映する。「江戸切子って所詮はグラス。結局は口当たりが一番大事なんだよ」。そう最初に話してくれた言葉の意味がようやくわかってきた。

 

切子職人の本質に向き合うものづくり

 

硝子の縁を削り口当たりを整えていく

削りと磨きの一部を終えた作品を手に、硝子の縁を砥石で削り、整えていく保さん。通常、特別な事情がない限りこの工程が行われることはない。なぜ手を加えるのか。それは、硝子を作る工程でできた気泡や砂が入っていることがあり、使っていくうちに使い手が違和感を感じる可能性があるからだ。

「硝子って生産工房とか作家の作品ごとに強度や仕上がりが微妙に違う。だから一つ一つ特性に合わせた方法で整えていくんだよ」

見た目はもちろん、触り心地を何度も手で確かめていく。時間にすると1作品あたり10〜20分。納得がいくまで作業は続く。

 

飲み口部分に不純物がないか、滑らかな触り心地かなど、目と手で確認しながらの作業が進む

「お客さんが使ってくれて初めて切子の良さが出るわけ。どうせ使うなら長い間使って欲しいじゃん。そのためには口触りが良くなきゃ絶対だめ。技術とかデザインとか、そんなことよりも“心地がいい”ってのが一番だから」

そう話している間にも作業する手は止まらない。何度も感触を確かめて、“ここがまだダメだな…”と呟きながらその手は動き続けている。

「今の時代、こんなことやってんのオレくらいだよ(笑)。お客さんはわかんないよって言われても嫌なものは嫌。時間も手間もかかるけど変なものは作りたくない。だから俺は基本的に全部直すんだ」と笑うその顔は、誇りに満ちた高尚な職人そのものだ。

 

丸ロック「春野」(各40,000円)。違和感のない口当たりを追求し、一部を除き縁部分に装飾を施さないのが保さんの作品の特徴

伝統工芸である江戸切子は美術品として扱われることが多い。しかし保さんの念頭にあるのは「使ってもらうこと」。実際、ビールグラス、ロ ックグラス、器など彼の作品を10点以上持っている聞き手も、ほぼ毎日使っている。使い込んだグラスを保さんに見せたとき、水アカが付いていたのを申し訳なさそうにしている私に、「使い込んでくれていることが嬉しいよ」と笑った。

「グラスに水やお酒を入れることで美しさを発揮する意匠もある。毎日手にして使うからこそ愛着がわくし、良さもわかる。だから常に使ってもらうことが一番嬉しいんだよね」

 

保さんは40年以上、ほぼ休むことなく工房で作業を続けている

余談だが、保さんの定番商品となっている5000円〜8000円代のぐい飲みやビールグラスには、販売価格に仕上げの装飾技術代は含まれていない。基本となるラインと底のカットの削りと磨きのみを工房で行い、展示会場などで実演をする際に現場で仕上げることで技術代を省いている。

比較的安価な商品を作るの全工程を工房で行うと、他の作品を作る時間をさらに確保しなくてはいけないため、総体的に作品の価格を上げざるを得なくなる。これを避けるために実演時間を活用しているのだ。もちろん、実演だからといって仕上がりが雑になる、なんてことは彼の技術では皆無だ。

どんな時でも使う人、買う人の目線で物事を決めている矢部保という江戸切子職人。機会があればぜひ彼の作品を手にして欲しい。その作品を通して、矢部保という男の物語をアテに一杯味わって見るのはいかがだろうか。

 

矢部硝子工芸・矢部保氏:切子模様のカット、磨きまでを一貫して行なう。二代目・保氏が手がける模様はすべてオリジナルで、独創的なデザインはもちろん、使い手を一番に考えた“飲みくちの肌触り”を大切に、手触り、佇まいの美しさを兼ね備えた逸品を作り上げる。

Photography by Daichi Saito